Mr.Keikai作「副題:母に捧げるバラード?」2004.02.29.
WORKU「修行僧の四国八十八次」
アーカイブス「ある修行僧の四国路八十八次」


はじめに・・・・・
人の記憶は、昔は75日、現在は7.5日で無くなる。
今日(2004.02.03)節分にて齢75歳を迎えるに当り、7.5年前の唯一の物的証拠「奉納経帖」を頼りに、88日間掛けて、
記憶を取戻さんとする。「H16,立春」
 
(1)発心の真似ごと
 
”いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねなむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす” 
 
この47文字に秘められた哲学の奥義を極めんと欲す(発心?)
 
随分昔の事だった。
母の3回忌が済んだ年のある日、あの世に居る筈の法衣姿の母に「こら!桂海!なんばしとるか!
今年は、前厄やろ、お前は何をしても中途半端ばかりしているじゃろ。
一つ位まともに出来んのか?
遍路になって、わしの供養位しても罰は当らんぞ!」と叱られた。
以前42歳の厄年の正月無理やり薬王寺に連れて行かれた記憶があるが、格別のご利益があったかどうか判らない?
さりとて真言宗の信者でもない。
迷った!
「途中でギブアップすると反って罰が当る。
最後までやり通す自信がなければ、八十八所廻りなど絶対してはいけない」と人から聞いていた。
数年前高野山大学の大講堂の板の間で般若心経を写経して、脚が痺れて一時間以上も動けなかった事が脳裏を翳めた。
「夜山道を歩いていた時、お化けが出て来たが「南無大師遍照・・・」とお経を唱えたらそいつは狸だった!と
ガキの頃祖母から聞かされた事も思い出した。
祖母は数回徒歩で廻った程の大の信者だったらしい。
戒名も立派な「・・・大姉」を持っている。
又戦後間もない頃、お接待だからと言って茶碗に盛った米を母が乞食同然の坊主に何やら言いながら渡している光景も
思い出した。
そんな環境ではあったが、別の世界だった。
 
その後何となく数ヶ月が過ぎた。
そして30数年の企業戦士の退役の時が来た。
自由な時間が出来た。
少々の金はある。
未だ体力はある。
決めた。
やってやろうじゃないか。
 
@第一日目
時は晩春。
娘の誕生日の翌朝、ある修行僧は四国に向かっていた。
震災の爪痕も生々しい明かりの消えた神戸の街を通リ過ぎ、淡路島を経由して、夜明け間もない頃、
「四国第一番霊山寺」の仁王門の前に彼は立っていたのだ。
 
門前町の店が開くのを暫く待つ事にした。
この旅は、如何なる事があろうとも途中で止めない。
一気に周る。
一寺一句の俳句を詠む。
一寺一枚の写真を撮る。
一寺一枚の写経を奉納する。
そして好き嫌いせず、その地の名物特産物を食い、地酒を飲み、温泉に浸かるのだと、
随分欲張った過酷な(?)試練に挑戦したのであった。
 
一軒の店が開いた。
遍路七道具を揃える事にした。
店の婆さんが不思議そうな顔で、「お遍路さんに参るかよ?」彼に訊ねた。
彼の身形はゴルフウエア−にスニーカ−、キャディ−バック代わりにカメラ2個とレンズバックに大小三脚、背中に
ナップサック・・・。
あれやこれやと説明を聞いたが、結局、奉納経帖と仏前勤行法則本と霊場順拝札と鈴にサ−ビス品の地図を貰って寺に
向かった。
照れ臭さとやや緊張した面持ちで山門を潜り人気のない境内に入った。
参拝の作法が解らない?誰かの真似をすれば良い。
参拝の人が来る迄、写真を撮る事にした。
暫くすると、数人のピカピカの新米遍路を経験者らしき遍路が連れて来て説明しながら、参拝し始めた。
聞き耳を立てて、一部始終を少し離れて観察し、一行が立ち去った後、見様見真似で参拝しようとしたが、
声を上げてお経を読めない!
読む振りをして、早々に切り上げ、又一行の後を追い、又真似事をして行った。
向うも気が付き、チラチラこちらを振り返っている。
お経を読まないものだから直ぐ追い付く。
大師堂で最後尾で一行のお経を聞き終わり立ち去ろうとした時、そのベテラン遍路の婆さんから
「ここも写経を納めるのですよ」と声を掛けられた。
「えっ?」一寺一枚の心算で一週間程掛かりで20枚位は書いて来た。
後は旅先でと道具は用意して来たが、その内、一日一二寺しか周れなくなる?
参った!どうする?地酒や温泉どころでなくなる?
途方に暮れている彼を尻目に一行は、次の寺を目指して歩き始めた。
 
我に返った。
難題が残っている。
指を折りながら五七五、出来ない!あまりにショックが大き過ぎて、新鮮な印象を忘れて仕舞った。
石に腰掛けて30分程経過、徐々に人混みも増えて来た。
えらいこちゃ。
時間の無駄だ!後で幾つかの中で出来の良いのを決めれば良い。
車に戻り、次に急いだ。
そこには、例の一行の姿はもうなかった。
 
第2番「極楽寺」。
寺の名前と枯山水の庭で意外と記憶にある。
すれ違いの白装束の話声に振り返った。
懐かしい訛りだった。
 
”四国路に訛り懐かし皐月旅”
 
こっりゃ英訳!
 
"The Sikoku pilgrimage Dear accent Travel on May" 「ちと無理か?」
 
直ぐに詠めた。
始めて投句用紙に書いて投函した。
段々要領が判って来た。
後は、駄作であろうが、お経を読む真似をしようが、まるでスタンプリレーだ。
途中で例の一行を追い越し、一気に第10番「切幡寺」迄駆け抜けた。
 
夕暮れ間近、腹が減って来た。
明日は阿波の難所「焼山寺」を目指さなければならない。
早く温泉に浸かり、地酒で一杯やりたい。
しかし、写経の在庫が底を尽き掛けている。
幾ら頑張っても、一枚が堰の山だ。
どうしょう?一杯処では済まされない!困った。
そうだ!残り少ない在庫の内出来の良いものをコピーすれば良いではないか!
自分で書いた事には間違いないのだから。
宿に向かう道々コンビニを物色した。
国道沿いのコンビニで都合150枚程コピーした。
店の叔母さんが両替しながら「信じられない?」と言う顔をして、人の顔を覗き込んだもんだ。
名前は忘れたが阿波池田の林芙美子も泊まった言う宿に着いた時はとっぷり日も暮れていた。
妙案のお陰で書き殴ったノートの俳句等お構いなく何とか言う阿波の地酒を一気に飲み干した。
湯上りの心地良さと長時間の運転疲れから、何時の間か、眠っていた。
 
*お世話になった女将さん!「叩き起こされた?」
「CM」小西旅館:http://www12.ocn.ne.jp/~hakuti
 
 
 
A第二日目
朝飯もそこそこに第11番「藤井寺」目指して、坂東太郎沿いに引き返した。
コピ−があれば、百人力!要領良く11番ゲートを後にした。
可なりの距離がある。
車を止めてナビで詳細に見る。
茶色の細いクネクネ曲がった山道が表示された。
最短距離でも30km程ありそうだ。
段々急坂になる山道を登る・・・道幅も狭くなる・・・不安になって来た。
一軒の農家があった。
庭先で婆さんが梅干を乾していた。
この道は寺に行けるだろうか?訊ねた。
ちょっと車が大きいが何とか行けるでしょうや?との事。
そして乾している梅干を一つ貰った。
大昔、この山の頂上付近で大蛇が出た話をして呉れた。
昔祖母がお化けに化けた狸の話はここだったかも知れない。
昔ながらの製法で作った梅干を一瓶買って登り始めた。
今でも毎年この婆さんの作った梅干を送って貰っている。
 
何とか第12番「焼山寺」着いた。
徒歩では一日掛かりだろう?杉の大木に囲まれた深山だ。
夜はお化けが出た筈だ。
死国・辺土・同行二人・弘法大師、解る様な気がした。
 
”のちの世を思えばくぎやう焼山寺死出や三途の難所ありとも”
 
怖い山を早々に後にして徳島市に向かう。
バタバタと市内の五ケ所詣りを済まし、小松島に向かうドライブインで遅い昼飯を取る。
通行量の多い国道をイライラしながら、30分位要して小松島に着いた。
第19番「立江寺」の関所が心配だ。
大儀名分の動機は立派だが、実際やっている事は、滅茶苦茶だ。
お大師様にお咎め受けて追い返されるのでは?真面目にしなければと反省すると許して呉れた。
ありがたい!
第20番「鶴林寺」、第21番「太龍寺」の阿波難所も車とロープウエイで踏破した。
阿南市の第22番「平等寺」のお参りを終えた時は既に5時近くになっていた。
予定の薬王寺の門限には到底間に合わない!明日じっくりお詣りすることにして、ゆっくり南下して、
日和佐の白い灯台のホテルに泊まる。
 
*無理を聞いて呉れた支配人!満室なんか嘘?
 
B第三日目
素晴しい海岸線を眺めながら朝食をとる。
懐かしい見覚えのある寺、第23番「薬王寺」の山門に立つ。
約20年前の記憶が蘇える!母に連れられて来たが、石段を母の手を引き登った事。
最初の33段の女厄坂、次の42段から男厄坂に一円玉を一段毎に置いて登った事。
何やらブツブツお経を唱える母と。
やっと本堂に辿り着いた。
その横の石段を登る事にした。
61段の還暦の厄坂だ。
今朝ホテルで両替した10円玉を握り締め、這い蹲って登った。
流石にしんどい!体力の衰えを痛感する。
無造作に置かれた無数の銭、泥棒も心得ているだろう!賽銭箱に手を突っ込みベソを描いた悪ガキもこれには
恐ろしくて手を出さなかっただろう?
色々考えながら登っている内に変な形で毒々しい色の塔に辿り着いた。
額の汗を拭きながら、余計な荷物の重さを降ろした。一服して残りの390円を賽銭箱に入れた。
本堂に戻り、発心の真似事の最期だからと思い、初めて小声で般若心経を棒読みした。
隣の流暢な調子の大声に釣られた何処まで読んだか途中判らなくなり、同じ処を何回か読んだもんだだった。
今日から本格的に修行しなければならいと考えただろう?
ご利益があったかどうか思い出せないが、色あせて綻びたお守りを返して、新品のお守りと厄除けのお札を貰った。
今回の第一目的を達成したのだ。
満足感と安堵感が込み上げて来るのが判った。
気を引き締めて素晴しい海岸線を見ながら一路室戸岬目指して修行の旅立ちだ!
(瀬戸内寂静女史も何かのエッセイで賞賛した景色)
 
”みな人の病みぬる年の薬王寺瑠璃の薬をあたえまします”
 
「厄」を嘗めた罰?
昔、42歳の厄年の男に、今年位は、正月厄除けのお詣りされたら、どうです!と勧めたが、
ご本人は、ふざけたかどうか判らないが、近くの無縁仏の墓に小便を引っ掛けて初詣の厄除けしたんだ!
わツ、わツはーと豪語していた。
ある日、彼の職場を早朝訪ねると、彼愛用の椅子の背もたれが折れて床に落ちていた。
暫くして、彼の奥さんから電話があり、昨夜主人が交通事故に遭い、○○病院に入院していますとの知らせだった。
病院に駆けつけると、その厄男は、首の骨を折り、首から下が不随になっていた。
風の便りに、長い療養生活の後、他界したと聞いた。
「仏・・・、神・・・」良く言ったものだ!
 
(2)修行の真似ごと
 
可なりの距離だ。1時間半程して室戸岬の突端に着いた。
遥か彼方の太平洋の水平線を見つめる中岡慎太郎は何を考えているだろうか?
台風情報に良く出て来る室戸岬測候所の上に第24番「最御崎寺」ある。
修行のスタ−ト地点だ。
三蔵法師がサンスクリット語の発音をそのまま生かし、釈迦の説いた哲学を漢文に翻訳した最高傑作「般若心経」!
土佐の国の旅で解明しなければならない。
 
(い)観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄
 
第26番「金剛頂寺」随分後で判ったが、何故か?御影札と梵語札が未だに無い。
ガキの頃、鯨を食い過ぎた罰が当っただろう?掛け軸が出来ない!結願できない。
未だに悟らず修行しなければならないのは、きっとこの性だろう。
それか不真面目な遍路をした為、もう一度巡礼せよ!との警告だろう?
当時は、知る由もない。
 
”往生に望みをかくる極楽は月のかたむく西寺の空”
 
第27番「神峯寺」駐車場からかなり遠くて急な坂道の上に山門がある。
関所寺だ。
今から思い出すと、26番の札を取り上げられたか?26番で金を払わなかったので札を貰えなかったか?
ちゃんと検閲して呉れたら、舞い戻ったのに?殺生や?やっぱり罰が当っている。
第28番「大日寺」馴染み深い寺だ。
先代の住職とは面識があったので、現住職に挨拶を兼ねて事情を話すと
「殊勝な事です。お母さんも喜ぶでしょう、頑張って下さい」と励まされた。
第30番「善楽寺」で日が暮れた。
近くの友人の経営するホテルで洗濯と挨拶する為、泊まる事にした。(生憎留守)
 
*お世話になったお礼に(広告費貰っていません!)
「CM」高知ホテル:http://www.kochihotel.co.jp
 
ろ)”色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是、
是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色聲香味觸法無眼界乃至無意識界
無無明亦無無明盡乃至無老死亦無老死盡無苦集滅道無智亦無得以無所得故”
 
C第四日目
第31番「竹林寺」文殊菩薩の寺。
この寺のお守りは、良く祖母から無理やり渡された。
「この子は、頭が悪いから将来心配だ。このお守りを何時も首に懸けときなさい。その内ご利益があり、
頭が良くなるからね。解った?解ったね?」
しかし、ご利益は無かった様だ。
成績は何時もピリから数えたら早いし、試験は良く失敗した。
最近はお守り等持たないが四択の試験で失敗した事は無い。
まあ「三人寄れば・・・・」
 
”なむ文殊三世の仏のははときく我も子なれば乳こそほしけれ”
 
「余談」よさこい節:・・・坊さん簪(カンザシ)買うを見た・・・!
美少年の小坊主「純信」と美少女「おうま」の悲恋ラブストーリ?
修行僧の悲しさ?「純信」は破門、伊予の国(愛媛県)に追放され、その後の消息不明。
それに引換え「おうま」は、良縁に恵まれ幸せな結婚をし、子宝にも恵まれ、生涯を終った?
仏門の戒律の厳しさ?あなた!修行足らん?・・・・
 
「サービス」竹林寺の修行の現状:リンク集「マリリンちゃんの航海記」NO.12をクリックして下さい。
 
(は)”菩提薩?依般若波羅蜜多故心無?礙無?礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多
故得阿耨多羅三藐三菩提”
 
第34番「種間寺」。安産の薬師如来の底の抜けた役立たずの柄杓を見て、昔船で行ったと言う第36番「青龍寺」を
詣り、横綱「朝青龍」の母校を横目に見ながら、横浪三里を通過し、順調に足摺岬を目指す。
最長の距離を消化しなければならない。
夕刻足摺岬着。街中の高台のホテルに泊まる。
設備等に比して安かった記憶あり。
 
*包丁一本の板長!カツオのタタキ絶品?
「CM」みさきホテル:http://www.asizuri.com/hotel.htm
 
(に)”故知般若波羅蜜多是大神咒是大明咒是無上咒是無等等咒能除一切苦真實不虚”
 
D第五日目
第38番「金剛福寺」岬の先端に広大な境内に亜熱帯植物が茂る。
竜串を経由して、土佐最終第39番「延光寺」に入る。
 
(ほ)”掲諦掲諦波羅掲諦波羅僧掲諦菩提薩婆訶”
 
少しは効果があったか?
南国土佐を後にして、伊予の国に入る。
 
(3)菩提の真似ごと
 
海岸線を延々と走る。
第40番「観自在寺」伊予菩提からは、訪問札に母の戒名と命日を書いた札を追加する事にした。
(般若心経の冒頭・・・)
第41番「龍光寺」狐が住む珍しい寺。昼過ぎに到着。能率が上がらない。
第42番「仏木寺」山門の横の掲示板に
 
「勝手に切るな親子の縁、先祖代々積み重ね」
 
達筆で書いてあった文句は、今でも何故か鮮明に憶えている。
第43番「明石寺」から「十夜の橋」をそろりと渡り、四国山脈を縦断開始。
(目の不自由な人には、酷な言い伝えでは?と思ったが!)
 
かなりの山道2時間強の所要時間、夕方近いにしても暗い。第44番「大宝寺」を経由し第45番「岩屋寺」に
閉店間際到着。
寺の名前通り、強烈な岩と階段!「88」か「108」か知らないが、随分と人間は煩悩を持っているだろう。
あたふたとコピーの写経にサインペンで日付を書き込んでいる拙僧を苦笑いしながら見ていた住職が一枚の印刷物を
渡して「お詣りご苦労さまです」と言って呉れた。
往復1,000段近くの石段を踏んだ記憶がある。
脚はガクガク、猛烈に腹が減って来た。
エンジンキーを入れる。
赤ランプ、ガス欠寸前!兎に角、己の腹ごしらえより、ガソリンスタンドを捜すのが先決。
焦った!国道に出た!あった。
今夜は道後温泉迄行き積り積もった疲れを癒したい。
しかし、右足の筋肉が痙攣してブレーキをまともに踏めない!危険だ。
スタンドのアンちゃんに友達が勤めていると言う近くのホテルを紹介して貰った。
痛い足を引きずりながら部屋に入った。
右のボロ靴が破れている。
血豆が出来ている!痛い筈だ。
 
"Kanjizaibosathu.Gyoujinhannyaharamittaji.Shoukenkounkaiku.Doissaikuyaku"
 
ここまで来れば、修行の甲斐あり、お経もスラスラ読めるもんだ。
 
*スタンドの兄ちゃんの彼女が働いていた宿
「CM]リバーサイド富士:http://riverside-fuji.jp
 
E第六日目
今度は、四国山脈を横断して、第46番「浄瑠璃寺」に入った。
 
”永き日や衛門三郎浄瑠璃寺”(子規)
 
第48番「西林寺」奈落の無間地獄を通過出来るか?
 
”秋風や高井のてれぎ三津の鯛”(子規)
 
第51番「石手寺」俗世間に戻るか?悟らぬ人間の多さ!
参道の露天屋台で名物を買い漁る親子らしき偽女遍路二人連れとすれ違う。・・・
ハイ次、ハイ次、松山市内の8ケ寺は、昼飯前に終る。
一気に今治市に向かい、第59番「国分寺」迄フルスピ−ドで疾走する。
明日は体力勝負の石鉄山にチャレンジしなければならない。
充分英気を養う為、道後温泉迄引き返す。
宿に着くと又偽女遍路二人組と出合った。
助かった!履き慣れた登山靴とスボーツウエアと着替えの下着を空輸して来て貰ったのだ。
 
"Shikifuikuu.Kuufuishiki.Shikisokuzekuu.Kuusokuzeshiki.Shusougyoushiki.Yakubunyose"
"Zeshohoukuusou.Fushoufumetu.Fukufujou.Fuzoufugen.Zekokuutyumusiki.Mushusougyousiki.
Mugennibizetushinni.Mushikishoukoumisokuhou.Mugenkai.Naishimuishikikai.Mumumyou.Yakumumumyoushin.Naishimurousi.
Yakumurousishin.Mukusyumethutou.Muthiyakumutoku.Imushotokuko"
 
*ちょっと贅沢な夜?特割が嬉しい!
「CM」茶玻瑠:http://www.chaharu.com
 
「思い出(小坊主)」
*この道後温泉は、厭な記憶がある。
何十年前、この地で大学対抗柔道大会が開かれた事があった。
拙僧は、当時○○大学Bチームの副将(二段)として参加している。
期待されて試合に臨んだが、後何分優勢勝ちと思われた瞬間、見事な一本負けの性でチームは、一回戦敗退。
その夜無理やり床屋に連れて行かれリーゼントスタイルがピカピカの坊主頭にされたのだ。
この悔しさと恥ずかしさで、次の日の松山市内の遠足は、惨めに終ったのだ。
(後輩達で編成したAチームは大健闘し、3位入賞。
翌年、彼らは、優勝!個人戦も1位から3位迄独占したと随分後で聞いた)
 
「サービス」今治市来島海峡の夜景:リンク集「マリリンちゃんの航海記NO.7参照」
 
F第七日目
偽遍路から、チップをやるから、今日一日松山観光の運転手を頼まれたが、修行の成果があり、誘惑に負けず逆チップを
払い、鄭重にお断りした。
山の天候の怖さは、あちこちの山を踏んだ教訓から充分身に染みている。
兎に角1分でも早く登山口に着かなければならない。
宿で作って貰った弁当を背負ってアクセルを踏み込む。
麓の駐車場「湯浪」から約4,000mの急坂を登り始めた。
日曜日とあって、若いハイカーが「こんにちわ」と声を掛けて追い越して行く。
昨日迄の雑踏と比べてひっそりした参道だ。
2時間程登った「星が森」から石槌山を望む。
 
”山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 朝(あした)もよろし ゆうべもよろし” 「山頭火」
 
それから暫くして第60番「横峰寺」に着いた。
山岳信仰の最たるものだ。
後で気が付いた事だが、登り口を間違えていた。キツイルートを選らんだのだ!(バス路線ルートがあるらしい?)
仕方なく元来た道を引き返した!昼近くだった。
それからは亀に負けた兎の様に先を急いだ。
第63番「吉祥寺」で「成就石」に三脚の脚を突っ込うとしたが、上手く出来ない!罰が当ったのだ?
お大師様と一緒に歩いてないのだ。
何回か試みたがやはり駄目だ!
順番を待っている後の遍路さんの軽蔑の視線を感じる。
仕方ないから目を開けてやって仕舞った。
これから先の運が無くなるだろう。
後二つ三つの山が待っている!厭な予感が漲る。
不安を他所に高速道のお陰もあり、伊予最後の関所第65番「三角寺」を登り、讃岐に入った。
 
(4)涅槃の真似ごと
 
何とか「母」の菩提の弔いも終った。
一つで良い。何か「悟り」を得なければと最高峰の山に向かう。
しかし、不安は一瞬に払拭された。
ロープウウェイがある。
山頂からの讃岐平野と瀬戸内海の眺めは素晴しい。
この調子なら予定より早くなる。
観音寺泊りを琴平に変更する。
第74番「甲山寺」を済まし、「善通寺」を横目にみながら、遅くなったが、無事琴平まで足を延ばした。
 
"Bodaisatta.Ehannnyaharamittako.Shinmukege.Mukegeko.Muukufu.Onriissaitendoumusou.Kukyounehan.
Sanseshofutu.Ehannyaharamittako.Tokuanokutarasanmyakusanbotai."
 
*家庭的な雰囲気!「コンピラさん詣りの下見?」
「CM]一心館:http://www10.ocn.ne.jp/~issinkan
 
G第八日目
第75番「善通寺」兎に角広い敷地だ。
施設は余り記憶がないが、かなりの時間を投入した。
第78番「郷照寺」庭園が凄い!洞窟に物凄い数の観音様に会ったと思う。
第80番「国分寺」思い出せないが、何か興味を持った物を買い求めた記憶がある!何だったろう?
第82番「根香寺」又もや物凄い数観音様に会ったのだ。
その後淡々とスタンプラリーを消化し、第87番「長尾寺」を出た時は、午後4時頃だっ.た。
 
最後の結願は、直ぐそこだ!今日で終る!一気に終らせば、済む?
しかし、振り返れば空しい?何を得たか?じっくり考えよう!
約束の日より一日早いが、手紙を出した友達に電話する。
飲んでも大丈夫な場所を決める。
志度駅迄引き返す事にした。
最後位はと「般若心経」を書き始めた。
 
セコイ事をした為、字は上手くなってないが、字は手本無しでも書ける。
1時間半程で終った時、奴がやって来た。何十年振りの再会である!話は弾む!奴の話は、後で書こう!
 
"Kothihannyaharamitta.Sedaijinsyu.Sedaimyoushu.Zemujoushu.Zemutodoushu.Nojoissaiku.Sinjitufuko."
 
*JR志度駅前「活魚料理が旨い?」
「CM]富士屋旅館:http://www.nett.ne.jp/fujiya
 
「友人T・A氏の思い出」
*同じ釜の飯を食うた仲だ。
某大手銀行で将来を宿望されていたが、ある時、細君を不慮の事故で失った。
そして、彼女の菩提を弔う為と自分を見直す為に、歩いて位牌と共にこの道程を踏破した先達である。
当然ながら、退職して今は娘さんと二人で不動産屋を営んでいる。
兎に角、欲のない奴だ。
 
「サービス」高松市屋島の夜景:リンク集「マリリンちゃんの航海記NO.10参照」
 
H第九日目
とうとうやる!やっと、中途半端でなくなる?少し二日酔だが、早起きの習慣が付いた。
久し振りにゆったり朝飯を味わう。
兎に角ここ迄無事故で来られた(お大師様のお蔭?)「ガス欠寸前以外車の故障なし、道にも迷ったが、ナビのお蔭?」
気を引き締めて結願に向かう。
第88番「大窪寺」誰もが感激するだろう!遍路姿の顔が違う!三脚を肩から降ろした処にカメラマニアらしき老人が
寄って来て、「お撮りしましょうか?」と声を掛けられた。
初めてすんなり重たいカメラを渡した。
この旅で数えきれない程、シャッターを押してやった。
きっとカメラの達人と見えたのだろうか?しかし、自ら頼んだ事もなく、申し出を受けた事も無かった。
(昔、旅先の好意で他生の縁かと撮って貰った写真が顔がないetc.以来三脚を多用する)
杖代わりの折れ曲がった三脚を奉納した(罰当り?)昨夜書いたお経を奉納する。
 
"Gyateigyatei.Haragyatei.Harasougyatei.Bojisowaka"
 
落書きだらけの経本も破れかけていた。
お経を読みながら「おっかあ、やったぞ!」と叫んだ?
 
昼前に、第一番・竺和山霊山寺(一乗院)の本堂の前に立っていた。
ポッケトにある小銭全部賽銭箱に入れた。
有難う御座いました。
門前の最初に寄った店の婆さんに満願御礼参拝のページに日付入りの霊山寺のご朱印を見せた。
山頭火同然の汚れまくった変な遍路の顔を覚えていて呉れた。
拙僧に向かって合掌して「おめでとうございます。ありがたいことです」と言って、少し汚れた奉納経帖を手に取り、
空海の肖像画の次のページを開き、白紙のページの「高野山金剛峰寺」「高野山奥乃院」に揮毫・朱印を後で
良いから頂いて下さいと教えられた。
土産物を見繕って、初めて金を払ってこちらから礼を言った。
 
今でも奉納経帖の最終ページに四国第45番海岸山「岩屋寺」の住職から貰った一枚のチラシを張りつけてある。
 
”丹精していますか?
自分を大事に育てていますか?
一度きり。
頂いたこの生命。
大切にしましょう。
大事に育てましょう。
精一杯役立てましょう。
肥料と水は学習と努力。
光は他人の目。
酸いも甘いも吸収しましょう。
他人様の期待に応えることは一番の成長剤です。”
 
1.菩提心を因とす。(向上心・反省心は種)
2.大悲を根とす。(思いやりは根)
3.方便を究竟とす。(他人様に役立ち喜ばれることは花実)
*お大師さまは、大日経を尊ばれ、特に三句の法門といわれる教えを大本に置かれました。
 
○「お納経」の揮毫・朱印は、美術作品や趣味のスタンプ収集ではありません。
お詣り下さったあなた御自身が心をこめて御本尊様に納められたお経を、確かにお取り次ぎさせていただきます、
との住職の受け取り証印です。
 
と記されている。胸が痛む!コピーで誤魔化したお経!修行のやり直し?反省しなければ?
出鱈目な修行の旅(未完成交響曲)だったが、何か得たものがあっただろうか?と考えながら、四国を後にした。
工事中の明石大橋の下をフェリーで渡り、現実に戻った。
正味9日間約2,000kmに及ぶ時間と労力を費やした旅だった。
 
「サービス」明石大橋から鳴門へ:リンク集「マリリンちゃんの航海記NO.11参照」
 
(5)旅立ち!
 
”心 ”
寂しい時がありませんか?
悲観に暮れる時がありませんか?
世の中に弾き出される時がありませんか?
世の中に憤る時がありませんか?
 
”辺土”
遍路は辺土 ざわめきを離れた静かな処 人を嫌う辺境の地 山川草木の憩う温かな処 謀を知らぬアニムの里 
そして 我が心を癒す心の古里 人を遠ざけ、家を捨て、辺土の山川に身を横う。
ここは、我が知る人の来ぬ処、亦我も我を知らぬ処。
巡る巡る、辿る辿る、唯ひたすらに彷徨いを忘れ来し方を忘れ、過去を背負って過去を置いて、
やがて海浜の温かく山木の親しく自然に親しみ優しさに遭い軽蔑に会い尊敬と友情に遭い、心絆され、
遂に人の面の微笑みの伝わる迄同道辿りて堂々巡りて同島渡って”
 
我に我を取り戻すまで!(注)出所:当時の四国八十八所巡りマップ裏面記載文転記!
 
やり直そう!一人でも出来る!倹しき宮仕えをしなくても良い!
高野山に決心の報告に行く。
そして、知らぬ地で悪戦苦闘の修行が始まった。
 
もう一度行けるか如何か、判らない程の貴重な旅だった故に、
恥の上塗りになるが、友人「T・A」氏のご好意を無駄に出来ない。
唯一の残る幼稚な俳句を披露せざるを得ない。(未修正)
 
第一番・竺和山霊山寺(一乗院)
 
「霊山寺 五月五十路や 南無大師」
 
第二番・日照山極楽寺(無量寿院)
 
「四国路に 訛り懐かし 皐月旅」(本文掲載)
 
第三番・亀光山金泉寺(釈迦院)
 
「風薫る 揺らぐ線香の 太師堂」
 
第四番・黒巌山大日寺(遍照院)
 
「草深し 人絶え絶えに 寺詣」
 
第五番・無尽山地蔵寺(荘厳院)
 
「煩悩や 仏の道も 蓬餅」
 
第六番・温泉山安楽寺(瑠璃光院)
 
「足速に 駆ける遍路や つつじ咲き」
 
第七番・光明山十楽寺(蓮華院)
 
「とぼとぼと 父母の足音 春暮るる」
 
 
あとがき・・・
 
当時の落書き同然のノートと膨大な量の写真を無くして、当回顧録を痴呆寸前の作者が、075%の記憶に頼り、
書き留め様と悪戦苦闘して居る有様を当ホームページで逐次見守っていて呉れた友人「高松市のTA」氏から、
一枚の変色した写真と黄ばんだ古い手紙を送り返して呉れた。
手紙は日和佐郵便局の消印が打たれている。
初日に詠んだ俳句を彼に添削して貰う為と最終日に一杯やろうと言うメッセージに予定日を連絡した内容のものだった。
丁寧に幼稚な俳句をこうしたら良いよと新たに書き添えてある。
こんなに感激した事は、無かった。
改めてこの場を借りてお礼申し上げます。
 
この回顧録を作成するに、88人出合って86人と別れた。修行中の凡人にとっては、大収穫であった事だったろう。
只、オリジナルの句集と写真集が出来なかった事が残念だか、落書帖の紛失のお蔭で己の心の糧となったシーンの
再現のみになった。
宝と思っていた落書帖があれば、単なる二番煎じのノンフィクションの作品になったであろうと自己弁護せざるを得ない。
宗教が人間に与える影響力は偉大である。
お釈迦様のご慈悲があっただろうか?痴呆症が7.5%迄回復した様な気がする。
75日残して一気に書き上げた。
何とか、4年に1度の母の命日(2月29日)に間に合った。合掌!
 
尚、写真で紹介出来ない部分と最新の情報を数多ある「四国八十八所」のホームページ中から「リンク集」で
ご紹介します。
「四国八十八所」を切口にリンクして行くと、奥の深さが解って来ます。
その人の置かれた環境と人生観に拠って捕え方も当然違いはあるものの何か共通点に出会う機会ですので、
時間の許す限り、リンクを掘り進んで下さい。
きっと何かを得られると思います。
 
リンクのお蔭で、母の墓前に花を添えられました。報恩感謝!
 
平成16年2月吉日    Mr.Keikai 拝
 
「追記参考」2004.03.15:四国八十八か所へんろ文化と美術展(日本橋高島屋於)にて!
*過去・現代に関わる作家紹介
 
松尾芭蕉・小林一茶・正岡子規・種田山頭火・川端龍子・浜田泰介・溝縁ひろし・榊莫山・早坂暁・中川幸夫・
左時枝・十時孝好・畠中光亨・大下晋・西村公朝・多賀新・前田常作 
以上書籍・作品集をご参照下さい。
 
超一流の本物に触れると、弘法大師信仰と深く結びつき、今もなお、大勢の遍路が訪れる四国八十八ケ所の秘密が体験しなくても
解るかも知れません?
しかし、その行程を巡る事により大自然と一体化し、体力と智力を得られる事が、時代を超えて多くの人々の関心を誘う訳で、
「四国八十八ケ所を巡わずして結構と・・・・」(桂海)
 
(記)後日、下記画像追加と裏画像及び関連リンク仕込みをして行きます!時々、覗いて下さい!
 

写真左「奉納経帖」(唯一の物的証拠)
*記憶は蘇えるか?
 
写真右「般若心経」(門前の小僧・・・?)
*涙ぐましい努力の功徳は如何に?
四国第1番「霊山寺」参拝の証拠写真
(友人「TA」氏提供写真!)
 
ひよいと四国へ晴れきつてゐる
                (山頭火)
 
 
下段右追加画像は、「絵心経」です。
文字の読めない人用だが反って難しい???
・・・詳細は後日「ガラクタ倉庫」で!
「追記」下段左追加画像は、「四国八十八ケ所の文化遺産」のふるさと切手です。
詳細は、「ガラクタ倉庫NO.20」参照を!
 ☆地図を頼りに・・・!
 
右追加画像は、「絵心経」です。
文字の読めない人用だが反って難しい???
・・・詳細は後日「ガラクタ倉庫」で!

「追記」”空海と密教美術展”2011.07.22.観覧
                http://blogs.yahoo.co.jp/mr_keikai/4912484.html

           「参」Mr.Lucky&Mr.Kai&Mr.Keikaiの小さな散歩道・・・↓

                http://blogs.yahoo.co.jp/mr_keikai/525887.html       

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